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2005.09.02

会社設立!おめでとう!!


昼はドリームゲート本部でプロのコンサル養成講座でした。「1億の会社を3年で10億にする術」を指南しています。(笑)
夜は友人の西坂君の会社設立パーティに参加しました。西坂君とは4??5年前に仙台であった勉強会で僕の生徒の一人でした。それからのお付き合いです。蔵王に一緒にスキーに行ったり、(彼は大学の時、スキー部)上海に行ったり、大阪で飲んだり、東京で飲んだり、仙台で飲んだり。なんか、遊んでばっかりですが・・・(笑)その西坂君の会社が大きく飛躍したんです。資本金も大きくなり、社名も変わりました。リスペクトからサイベイト株式会社へ。仙台から東京に、そして、世界に羽ばたきます。めでたい!めでたい!
お祝いのスピーチさせてもらいました。写真は武田双雲君が書いた「縁」という文字です。彼も西坂君の友達で5年前は二人ともメシが食えんかった(笑)と話してました。その双雲君も今では世界に羽ばたく書道家です。最近の代表作は吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司が出演した「北の零年」の題字が彼です。

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2005.09.01

石川ジュブカフェ


東京から金沢まで日帰りで行ってきました。石川ジョブカフェと共催でジョブカフェ版ドリームゲートスター誕生をします。ジョブカフェに来ている若者がビジネスアイデアをブラッシュアップして、石川の先輩メンター社長にプレゼンします。メンター社長たちはマッチングの札を上げて応援するって企画です。このイベントは11月なんですが、そこに行く為にいくつかのイベントとセミナーを仕掛けています。その初回が今日でした。
2時間ぐらいの講演をしてきました。お題は「夢さえあれば君も社長になれる」です。会場には40人ぐらいのお客様の入ってもらいました。終わってから交流会があり、それを終えて、東京にとんぼ返りでした。
金沢のみなさん、ありがとうございました。

金沢駅です。すごい天井!!そして、金沢のバスです。

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2005.08.30

久しぶりに・・・


今日は大阪府立藤井寺工業高等学校の2年生と3年生20人ぐらいに起業の話をしてきました。担当の三浦先生からご依頼をいただいたのは?3ヶ月前ぐらいですかね。ご依頼はどなたか起業についてお話いただける方をご紹介下さい。ってことでした。でも、学生が大好きな吉田ですから「僕が行きます」ってことで今日になったわけです。
工業高校の生徒君たちはみんなまじめでしっかり話は聞いてくれたんですが・・・・。あの空気ではきっと僕の言わんとしたことは伝わってないですね。これは生徒達の問題ではなくて、僕の伝え手としての実力不足です。(泣)「なんかしらんけど、熱いおっさんが来た」これだけは印象に残ったとは思うのですが・・・(笑)
また、刀磨いて出直してきます。次は負けないよ!!!

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2005.08.24

アグリベンチャー


お邪魔したのは上海百奥微繁殖物有限公司 土下信人さんです。
ここ浦東に農業特区があることを知っている人は少ないと思います。ここ上海で特区と言えば工業団地とか保税区を思い浮かべますが、農業も上海では一大産業です。この特区は総面積140ヘクタール、東京ドームの30コ分の広さに70軒の農家・・・。違いました。上海では農家とは言わないです。農業も事業ですから70の企業が入っています。外国企業は4社のみ、台湾企業が3社、そして、土下さんところが日系で1社です。

事業は観葉植物の苗を試験管で培養して、その苗を日本の農家に輸出しています。そこから、事業はスタートして、今では4号鉢の小さな観葉植物を商品としてホームセンター業界に輸出するところまできました。そして、今、企画しているのは雲南省でバラ、カーネーション、夏イチゴの栽培です。
後、中国で作物の特許と言われる種苗(しびょう)登録の代行業務もしておられます。最近ではオーストラリアのフロリジン社の「青いカーネーション」の申請と種苗登録を手伝っておられます。
種苗登録でがっちり抑えて、独占で量産する。僕の「知財なんて守る国ですか?」の質問に「ちょこちょこ、マネして作るのはどうでもいいんです。そんなのやらせておけば、問題はこっちの国営企業がロイヤリティを払わないで量産するのが問題なんです。ここはがっちり抑えればとってもいい事業になります。
特許から培養、量産、輸出、流通マーケティングまで・・・こりゃ農家じゃないよね。事業だよね。
そんな土下さんは僕と同じ50代。今年56歳のシニアベンチャーです。僕もがんばろ!

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2005.08.23

お教室・・・


上海馨凰健身体凩倶本部有限公司 佐藤 愛さん です。
この7月に立ち上がったばっかりの愛さんのスクールにお邪魔しました。
お茶にお花に着付けにマナー、エステ。フラメンコにバレーにウォーキングなどなど。日本にあるカルチャーセンター並みのカリキュラムがそろっています。そして、この和室に着物姿がオーナー件社長の愛さんです。
お客様は駐在の奥様方と上海のセレブ達、そして、ニューエイジ、日系企業に勤める現地の女の子たちです。そして、このスクールで育った身も心もきれいな女性たちが2010年万博の時に日系企業、日本政府館で活躍します。あ、これって企業秘密でしたっけ・・・
上海で出会った茶室と着物姿の愛さんは27歳でした。あ、これも企業秘密でした?(^_^)

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2005.08.22

上海 shanghai


22日から24日まで上海でした。吉田は上海にオフィスがあるので、毎月行っています。これはみんな知ってるよね。よしだ的には大阪、東京についでよく知ってる街、上海なんで、上海への出張は国内とほとんど変わらないです。国内の他の地域より身近かも
そんな身近な上海ですが、今回知り合った3人はちょっと今までにない、僕の想像を超えた上海にいる日本人+事業でした。なので、紹介しますね。

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2005.08.22

築地から大トロが来る


上海帝市食品有限公司 島原慶将 総経理 です。島原さん、いいキャラしてるでしょ。このスキンヘッドが印象的ですが、彼曰く「上海で戦うにはこれぐらいキャラが立ってないと、だめっしょ」(笑)そして、その島原さんのビジネスは築地からマグロを輸入しています。それも、トロだけ。「赤身もいいですけど、通関から輸送、温度管理、販売まで、手間は一緒ですからね。単価を考えると赤身は合わないですよ」
上海には日本食レストランが山のようにありますが、まだまだ、上海人の日常食にはなってないです。でも、ニューヨークや香港みたいに誰もが日本食を食べるようになる日が来る。その時を見越して、正規ルートで輸入しています。ハンドキャリーや裏ルーとで入ってくるマグロはありますが、正規のルートでちゃんと食品検査をパスして、通関して、関税払って、入ってきてるなんて、僕も始めて知りました。島原さんは卸しですが、直営店も持っておられます。
中国の安い商品を日本へ輸入する時代から、日本の高級品を中国に輸出する時代になりました。
そうそう、その島原さんは「遅すぎますよね。僕、もう32歳なんです」っておっしゃいました。

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2005.08.20

飯田市の創業塾で講演してきました


東京からだと飯田までは高速バスが一番早く行けます。それでも4時間かかります。9時半の講演に間に合うように前泊しました。「飯田って来たことあるよな?」って思いながらバスで来たのですが、いつ、何をしに来たか思い出せません。着いて、食事に出ました。タクシーの運転手さんや居酒屋のお兄ちゃん、そして、町並みを見ていると、徐々に記憶がよみがえってきます。きっと、左脳は忘れていても右脳が覚えているのでしょうか?思い出してきました。泊まったホテルや朝に散歩をしたのですが、そんなことを思い出しました。夜は元気なおばあさんがいるお店にお邪魔してご馳走になったこと。翌日のお昼はおそばを食べたこと。そうだ、講演はインキュベーションの開所式の基調講演だった。などなど。芋づる式に思い出してきます。
そして、今日の講演です。いただいた時間は3時間。講演で3時間!ちょっとないです。(笑)セミナーだったらある話ですが・・・。でも、3時間やりました。長いはずの3時間でしたが、5分も超過してしまいました。(笑)
今回の創業塾は40人の定員に対して50人集まって下さいました。
塾生のみなさん。今日から5日間のセミナーと聞いています。がんばって下さい。でも、これは畳の上の平泳ぎ!(笑)終わったら水の中で練習しましょう!!!(笑)それと。退職届を出した方はご一報下さい。別に何かある訳ではありませんが・・(笑)
(これは受講者だけにわかる内輪の話でした)

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2005.08.16

伊原ルリ子を囲む会


先日、福岡で出会った伊原さんが東京に来るというので、みんなで飲もうってことになりました。声をかけたら、お盆の真っ只中というのにこんなに集まってくれました。場所は佐藤君のお店、ガーブ「ビンティーノ」東京タワーの真下です。

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2005.08.12

ナンパしちゃいました。ちょっと年上ですが・・・92歳。

今週は夏休みをもらっていました。沖縄に居たのですが、今回は自分を開放する意味でも何もかも忘れて、blogも忘れて、過ごすつもりでしたが、あきませんね。(笑)とってもいい出会いがあったので、紹介します。だって、黙ってられなくて・・・しゃべりですから。

沖縄の海中道路の先の平安座島で、ハル商店という看板を発見。壁にペンキで書かれた看板はいかにも沖縄。喉が渇いていた僕は商店というぐらいだから、何かあるだろうと、そのわき道に入っていきました。小さなお店がありました。昔ながらの雑貨屋さんです。そこにいたのがハルおばあです。沖縄ではおばあさんのことをおばあと言います。「お元気そうですね。おいくつですが」ここから話がはじまりました。おばあは大正3年生まれの92歳、お誕生日は4月3日で巨人軍の高橋君?○○君と同じ・・・この巨人軍のだれだれと同じ誕生日って言うのを3回聞いたのですが、誰か忘れました。ぼけているのは僕の方かも・・・(笑)

おばあは僕を見て「あなたぐらいの人を見ると、あの当時戦争に行った若い人を思い出します」と言いました。
おばあはこの島に生まれて、12歳で川崎に家族で引っ越します。高校を卒業して、就職するのが大阪の岸和田、この時が18歳、その後、転勤で尼崎に、20代半ばで結婚しますが、夫は徴兵を逃れる為にアルゼンチンに移住。一日だけの新婚生活でした。おばあが働いていた、尼崎の軍事工場から若い人がどんどん徴兵されて戦争に行きました。みんなの万歳で送り出しますが、万歳なんて思っている人なんて誰もいなくて、それが辛かったと話してくれました。
戦争が終わって、おばあは夫のいるアルゼンチンに行きます。アルゼンチンで30年雑貨店を営なみます。だから、おばあの言葉は東京弁と関西弁とスペイン語のちゃんぽんです。そんなおばあが70歳ぐらいの時にフォークランド紛争が勃発します。おばあは戦争が大嫌い。戦争がおこると聞いて、日本に帰ってきます。そして、そこから20年です。生まれ故郷のこの家で雑貨店を始めます。おばあには子供がいないのです。でも、寂しくはないです。ここには親戚やら従兄弟やら、一人で居てても、みんなが、「おばあ、どうしてる」とやってきてくれます。お客様も来られます。だから、おばあは気楽に、そして、ぜんぜん寂しくないです。そして、今、おばあは92歳になりました。

55歳で引退するって言っている吉田がなんとも薄っぺらく見えました。(笑)あ??、これが人生なんだ!この平安座島で、おばあに教えてもらいました。おばあから見たら、僕は出征を見送った彼らといくつも変わらない若者なんです。
二人は住所交換して別れました。
2005 夏 沖縄にて

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